幼少期、弟と2人で母に行き先を告げないまま、遠くの公園へ行き、夕方近くになって家に帰る途中、探しに来た母に激昂されたことを今でも覚えています。
幼い私はそんなに怒らなくてもいいのにと内心は思っていましたが、その反面、母が私と弟を心配していたからこそ怒っていることに気づいていました。
幼いながらも母の怒りの中に愛を感じていました。
しかし誰もが愛を正確に受け取れるとは限りません。
自分を叱る親を悪とみなし、甘やかす親を善と捉えてしまう子がいるのも事実です。
子供とは限らず大人でも、自分にとって都合の良い、耳障りの良い言葉を並べ立てる人を善と見なし、相手の成長のために厳しいことを言う人を悪だと捉える人もいます。
また要注意なのは「愛、優しさ、思いやり、感謝、ありがとう」と言う言葉は波動が高いので、一見すると聞く人を幸せにできる言葉ですが、
自分のエゴ(金、色恋)を満たすために、それらの言葉を悪用する人たちもいます。
逆に「ふざけるな、馬鹿野郎・・・」と波動の低い言葉を聞くと耳を覆いたくなりますが、相手を心配するあまり、やむを得ず発している場合もあります。
なので優しい言葉や恐い言葉だけに着目しても、愛なのかエゴなのか判断が狂ってしまいます。
その言葉の裏にあるのは愛なのかエゴなのか、自分自身で感じとらなければなりません。
見分ける方法としてはその言葉は自分のエゴのために発しているのか?相手のためを思って発しているのか?言葉の真意を読み取らねばならないと思っていましたが、
しかし先日、「他者の愛」は愛のある人にしか感じとれないのでは?と感じた出来事を目にしました。
愛に溢れている某ブログに対して、エゴで記事を書いていると捉えている人がいました。
愛を知らずにエゴだけで生きている人にとっては、相手がいくら愛を持って接しても、愛自体を分かっていないので、相手の愛がエゴに見えてしまうのかもしれません。
なので愛のある人にならなければ相手の愛は分からないことを知りました。
まずは、自分の心を愛で満たすことは物凄く大切です。
私が愛に目覚めた経緯は心が満たされると金銭欲、物欲は自然に消えるに記載あります。
また私がいつも学ばせて頂いている【地球丸ごと救いたい】ゆたかブログさんの生きるのがツライ原因は愛の燃料切れでは、心を愛で満たすための具体的な方法を教えて下さっています。
愛は実態がないので、愛の大切さを軽視している人が多いかもしれませんが、
愛とは生きるための必須エネルギーで、愛がないと生きる気力も出ないし、心が満たされることもないし、心の平安も保てません。
また愛の大切さについて具体的にわかりやすく教えて下さっている記事は【地球丸ごと救いたい】ゆたかブログさんの過去記事にもたくさんあります。
1人でも多くの人が愛に目覚めることを願ってやみません。