何かの本で「友達を自分の愚痴を吐き出すための痰壺にしてはいけない」というのを読んだことがあります。
もし痰壷代わりにされていた人の壷が、相手の吐く愚痴で満杯になり、愚痴を受け入れられなくなったらどうなるのでしょうか・・・
このような我慢の限界を『コップの水があふれる』に例えた場合を記事にしてみました。
普段何を言われても、怒らない温厚で優しい人が、相手のほんの些細なひとことで理性をなくすほどキレることがあります。
中学時代、温厚で優しい女の子Aが、友達のBにお気に入りの持ち物をけなされたという出来事がありました。
AはBのたったひとことにキレてそのまま絶交を言い渡しました。
普段のAは誰かに失礼なことを言われたり無礼なマネをされても怒らずに笑って流すような温厚な子でしたが、AとBの間には長期間に渡る痰壷のような関係になっていたのを狭い教室の箱の中のクラスメートたちは知っていました。
AはBと友達でしたが、AはBのわがままで意地悪で自己中な性格に毎日振り回され、ずっと我慢に我慢を重ねていたのです。
そしてAはBに対してついに我慢の限界がきてしまいBの些細なひとことが引き金となり、マジギレしたのです。
その後、AとBは二度と仲良くすることはありませんでした。
この出来事から人が特定の人物に対して我慢の限界を超えたときにマジギレしたり去っていくことがわかりました。
コップの水で例えると、人と人が出会うときに相手の名前を書いたコップをそれぞれ持つことになります。
先ほどの例を挙げると、BがAに意地悪をしたり自己中極まり無い態度をするたびに、Bの名前のコップには水がどんどん溜まっていきました。
そしてある日、コップの水が満杯になって溢れたときにAの怒りが爆発したのです。
Aの我慢に我慢を重ねてあふれ出たコップの水をBは拾うことはできませんでした。
よく離婚の原因で「長年の我慢の限界がきたから」というのを聞いたことがありますが、コップの水があふれ出てしまったのではないでしょうか。
なので温厚な人だから何を言っても何をしても怒らないとは限りません。
普段温厚な人が突然キレたとしたら、コップの水があふれ出たのかもしれません。
しかし人によってコップの大きさや水がたまる量やスピードも違うかと思います。
誰かに嫌な思いをさせられてもあっさり忘れることでコップに水をためない人や
短気な人は誰に対してもコップは小さく、ほんの些細なことでも一瞬でコップの水をあふれさせることもあるのです。
また、大きなコップを持った人の水は中々あふれませんが、あふれたときは大きな激流となって一瞬で相手を流してしまうかもしれません。
また、コップの水が満杯近くたまっても、相手が謝罪することでコップの水は減ったりすることもあるかと思います。
人は感情の動物なのです。
コップに水をためないためにも、相手の気持ちや立場を想像することは大切です。
また、今まで支配層は大衆が苦しむことをたくさんしてきました。
農薬、添加物、遺伝子組み換え、化学物質などの毒物を食品に入れたり、電磁波、放射能、ケムトレイルなどの毒を撒き散らすだけではなく、
コロナワクチンによる人口削減や、物価上昇、増税、収入減などによる貧困化など、奴隷社会のオリの中が以前にも増して地獄になってきています。
私の中で『支配層』と書かれたコップの水はすでにあふれ出ていますが、
支配層は人々のコップの水があふれないよう、常にギリギリのお金や娯楽を与えながら狡猾に操っています。
しかしこれから先、支配層が本格的に牙を剥き、改憲し人権を奪い財産を没収したり、ワクチンを強制したり、戦争で徴兵制を復活させたり、食糧危機を起こしたり、災害を起こしたりしたときに
人々のコップの水があふれ出るときなのかもしれません。
しかし、人命が失われることで、コップの水があふれるのでは遅いのです。
その前に、みんなで無血革命を実行し、支配層に支配されなくなることです。
【地球丸ごと救いたい】ゆたかブログさんの無血革命をするには、依存率を減らして自給率を上げることには支配されないために大切なことが沢山書かれています。
一人でも多くの人にぜひ読んで頂きたい記事です。