人を非難するのは天に向かってツバを吐くようなもの

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非難と批判はどう違うのでしょうか?

「非難」

  • 一方的に相手を否定すること
  • 人の欠点や過失、間違いなどを責めること

「批判」

  • 人の言動や行動などの誤りや欠点を指摘し、改善させようとすること
  • 物事の良し悪しを検討し、判定評価すること

「非難」と「批判」は一見似たような意味に捉えがちですが、実は大きく違っています。

非難には愛を感じませんが、批判には愛を感じます。

相手のことを本気で思っているのなら、自分が嫌われるのもおかまいなしに伝えるべきことを伝えるのが愛だと思います。

それにひきかえ、ただ相手を一方的に否定し、人の欠点や過失、間違い等を責め立てる非難は相手を傷つけるだけではなく、最終的には自分自身をも傷つけることになります。

この世に自分を非難してくる人間を嫌わない人はほとんどいないと思います。

よっぽどのドMでない限り、非難されると怒り狂うのが人間です。

特にその非難の内容が的確であればあるほど恨みが強くなるそうです。

以下の興味深いエピソードがあります。

リンカーンは人を非難ばかりしていた。
彼がまだ若く、田舎町に住んでいた頃、人のあら探しをしただけではなく、相手を嘲笑った詩や手紙を書き、それをわざわざ人目につくように道端に落としたりした。
その手紙の一つが元になって、一生涯、彼に反感を持つようになった者も現れた。
その後、弁護士を開業してからも、彼は反対者をやっつける手紙を新聞紙上に公開したりなどしていたが、やりすぎて最後にとんでもない目に合わされることになった。
1842年の秋、リンカーンはジェイムズ・シールドと言う見栄坊で喧嘩早いアイルランド生まれの政治家をやっつけた。
スプリングフィールド・ジャーナル紙に匿名の諷刺文を書き送ったのである。
これが掲載されると、町中が大笑いした。
感情家で自尊心の強いシールズはもちろん怒った。投書の主が誰かわかると、早速馬に飛び乗り、リンカーンのところに駆けつけて決闘を申し込んだ。
リンカーンは決闘には反対だったが、結局断りきれず申し込みを受け入れることになり、武器の選択はリンカーンに任された。
リンカーンは腕が長かったので、騎兵用の広刃の剣を選び、陸軍士官学校出の友人に剣の使い方を教えてもらった。
約束の日が来ると、2人はミシシッピ川の砂州にあいまみえたが、いよいよ決闘が始まろうとした時、双方の介添人が分け入り、この果たし合いは預かりとなった。
この事件では、さすがのリンカーンも肝を冷やした。
おかげで彼は人の扱いについてこの上ない教訓を得たのである。
二度と人を馬鹿にした手紙を書かず、人を嘲ることをやめ、どんなことがあっても人を非難するような事はほとんどしなくなった。

人を非難したところで、非難された人は変わりません。

変わるどころか非難した相手を恨むだけです。

リンカーンの例のように下手すれば命の危機にもさらされかねません。

まさに天に向かってツバを吐くようなものです。

相手への非難は簡単に思いつきますが

では「どうすれば良いのか」を具体的にアドバイスできないのであれば、非難すべきではありません。

相手を傷つけて一生涯恨まれる可能性もあり、良い事などひとつもないのです。

自分自身を変えるのも難しいのに、他者を変えるなんて無理な話です。

結局、自分の意志で「変わらなければ」という強い危機感を持たない限り、人は変われないのです。

他者を変えようとするのではなく、リンカーンのように他者の非難をしない自分に変わることが大切です。

しかし、非難するのをやめ、相手のためを心から思った愛のあるアドバイスに変えるだけで、人は素直になれるものです。

参考になれば幸いです。

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