批判にも両面がある

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誰かを批判することに対して、否定的な意見と肯定的な意見がありますが、善い悪いの善悪二元論ではなく、批判が発せられる動機によると感じたので記事にしてみました。

人が誰かを批判するときの動機は色々あるかと思いますが、たとえば

  • 自分と違う意見や考えが許せない
  • 妬み嫉みにより相手を下げたい
  • 気に食わないから攻撃したい
  • 相手を下げることで優位に立ちたい

・・・etc

このような私的感情だけで発せられた邪悪な批判である場合は、それをいち早く見抜き、翻弄されないことです。

特に自分と違う意見や考え、行為に対して、いちいち否定・批判する人に言いたいのは、

人は一人ひとりが違うので、人の数だけ色んな考えや個性があるということです。

自分と違う考えは自分の器を広げてくれたり、新たな視点を提供してくれたり、大変参考になり成長に繋がったりすることも多いのです。

それを自分の考えだけが正しいと思い込み、頑なにその考えを強要するのはお門違いだし、自分の考えと違う人を敵と見なすのは論外です。

それぞれの違いを冷静に分析し、尊重し合うことは大切だと思います。

また妬み嫉みにより相手を下げたい場合は、相手の自信を喪失させるような批判をしてくるので、それを真に受けて心に傷を負ったり自信をなくさないようにすることです。

気に食わないから攻撃したい場合も、相手を下げることで優位に立ちたい場合も同様です。

見分け方としては、この批判は自分の成長や全体への奉仕につながるのか?と批判が発せられた裏の意図まで客観的に読み取り、翻弄されないようにしましょう。

一方で、批判が良薬になる例としては、

人を傷付ける行為(イジメ、虐待、DV、セクハラ、パワハラ、誹謗中傷、詐欺、依存させることによるお金の搾取・・・etc)に対しては見て見ぬふりをせずに、批判したり、注意喚起したり、指摘することも必要なのです。

この世は楽園ではないので、サイコパスや爬虫類脳のような人間がゴロゴロ転がっています。

サイコパスや爬虫類脳の悪徳な行為に対し、批判する人がいないと、被害者が増えるだけではなく、元々は善良な人たちでさえも奴らの悪影響を受けて悪に染まっていく可能性もあるので否定、批判を言葉にする必要があります。

また、社会のレベル=人々のレベルのように社会のレベルを上げるには、人々の精神性を上げるしかありません。

そのためには、時には厳しい批判も必要な場合もあるのです。

私の場合は【地球丸ごと救いたい】ゆたかブログさんを読むまでは、支配層を倒してくれる救世主を待ち望む他力本願そのものでした。

また、今までの辛い人生の原因を支配層や周りの人たちや周りの環境のせいにする他責思考にも陥っていました。

さらに自分と家族だけが平穏無事に過ごせればいいと思う自分本位でもありました。

なので、ゆたかブログさんを拝読し学ばせて頂く中で、耳が痛いこともたくさんありましたが、自分の今までの人生を振り返り、

他力本願、他責思考だと1ミリも成長できず、思考力、想像力、創造力、行動力はゼロのままなので、結果現実は何も変わらなかったことを思い返し、反省することができました。

そして自分の内面を豊かにする大切さを実感してからは前向きに生きられるようになりました。

耳障りの良い言葉だけでは人は何も成長できないので、ときには人々の精神性を上げるための批判も必要な場合もあるのです。

なので誰かに批判されたり、耳が痛い内容をネット上で見かけても、頭からはねつけるのではなく、自分の成長や全体への奉仕に繋がるかどうかの視点で捉えてみると新たな発見ができるかもしれません。

私的感情からくる批判には翻弄されず、悪徳な行為には勇気を持って批判し、自分の成長に繋がる批判は真摯に受け止めることも大切です。

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