人の死もビジネスに

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父が亡くなり、父のお葬式のための葬儀屋との打ち合わせで、ビジネス臭を感じました。

お葬式の流れは全て決められていて、決められた範囲外のこちらの希望は一切受けつけない感じでした。

葬儀屋がいないところでそのことを弟に話したところ、

弟は「バスの運転手にお金を払うからバス停がないところで降ろしてくださいと言っているようなものだよ。だからこちらの希望を伝えても無理なんだよ。葬儀屋が与える選択肢の中から、選ぶしかないんだよ」と言ってきました。

思い返せば学生時代からずっと、与えられた選択肢の中から選んできました。

なのでいつの間にか自分で考えたり、自分から提案する事ができなくなり、与えられた選択肢の中から選ぶのが当たり前になっていました。

選挙もその最たる例です。

与えられた人物の中から選ぶことしかできないのですから・・・

話はそれましたが、

以前の私なら違和感なく葬儀屋が与えてきた選択肢の中から選んでいたことでしょう。

しかし今の私は葬儀屋との打ち合わせでどうしてもビジネス臭を感じ、何を選んでも葬儀屋が莫大に儲かるだけのシステムになっていることに疑問を持ちまくりでした。

しかし弟が葬儀屋を選んだので、今さら文句を言える立場ではありません。

遺影写真額代、棺代、死装束代、料理、香典返し、お葬式の会場代、遺族が宿泊する部屋代・・・

案の定、一番安いものを選んでも100万円は余裕で超えました。

さらにお葬式後も、葬儀屋から弟に遺族年金系手続きのサポートサービスの営業電話があったそうです。

弟は必要ないと断ったそうですが、さすがに鈍い弟でさえもビジネス臭がプンプンすると言っていました。

葬儀屋の中には一人だけ、こまめに動いてくれる方がいましたが、ビジネス臭が伝わってくるとどうしても感謝の気持ちが薄れてしまいます。

また葬儀屋からはお葬式が終わったらさっさと出て行けという空気感を感じました。

父の親戚の高齢の方が遠い県から新幹線で来てくれましたが、喪服から私服に着替える場所がないので人が出入りする控室で下着を丸出しにして着替えている姿を見て

葬儀が終わり、お金さえ払えば、後はどうでも良いという思いやりのなさも感じました。

心からお客さんのことを考えていたら、遠方から来た人用に更衣室を用意するはずです。

葬儀屋に限らず、人に価値を提供してお金をもらっている全ての人たちは、人から搾取することばかりを重視するのをやめ、一度、お客さんの立場や気持ち、視点に立って、自分たちのサービスを見直してみるべきだと感じました。

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