人生の教訓を得るには経験が一番

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本やネットなどの二次元の情報や人から話を聞いただけでは人生の教訓を得るのは難しいと感じたので記事にしてみました。

たとえば

「健康は大切」と人から聞いたり、本で読んだりしても、実際に病気で苦しんだり、体調不良で働けなかったり、家族の看護や介護を経験したりすることで、初めて健康の大切さを身に染みて実感できたりします。

また「好きでもない男性に貢がせたら後が怖い」と聞いても、貢がせたために恨まれたり、執着されたり、深刻なストーカー被害に遭うことで初めてその言葉の意味を痛感できたり、

「人を傷付けることを言ってはいけない」と頭では分かっていても、つい感情的になり発してしまったキツイひとことが相手の心を深く傷付けてしまい、人間関係に深い亀裂が生じ、初めてこの言葉の意味を痛感したり、

・・・etc

教訓を得るには、経験に敵うものはありません。

会社員時代の同僚で、誰かに仕事で助けてもらったときは、その場で丁重なお礼を述べることはできますが、その直後には恩を仇で返すような行為を平気でする人がいました。

その同僚は「人に何かをしてもらったら、感謝の気持ちを述べるのは大切」という教えを丸暗記しているだけで、助けてもらったことには全く感謝していないので、それが行動に現れていました。

心底から感謝の気持ちが溢れ出てくるのを本人が経験しない限りは、このように口先だけで行動が伴わない人になってしまうのです。

また同僚は、素晴らしいことも言うので、一見善良な人に見えましたが、言動と行動があまりにもかけ離れていたので、良い言葉を丸暗記して述べていたのかもしれません。

暗記は知識を脳みそに詰め込むだけなので、パソコンに例えるとファイルをダウンロードした状態なので自分の内面の財産にはなっていません。

(ダウンロードはファイルを自分のパソコン(スマホ)にコピーすること)

自分の実体験に落とし込むことで、初めてインストールできて自分の内面の財産になるのです。

(インストールはパソコン(スマホ)上でアプリやソフトを使える状態にすること)

例えば『信じられるのは自分のみ』と言う言葉を暗記することはできても、その言葉を自分の中にインストールするには、人によっては以下のような経験も必要になるのかもしれません。

自分を救ってくれそうな教祖に出会い、教祖の言うことを全て鵜呑みにしてしまうことで、自分の頭で考えられなくなり、何かある度に教祖の教えや意見を求めてしまうようになる。
しまいには、信者になり、お金を永遠と搾取され続けることで、初めて『信じられるのは自分のみ』という言葉の意味が分かることになるのかもしれません。

いくら沢山の情報を得ても、それを経験しない限りは、その内容を心底からインストールできないので、自分自身の内面の財産にはなっていないのです。

そうならないためにも、現実でさまざまな経験をし、いろんな気づきを得ることが大切です。

人はさまざまな経験をすることで、いろんな人たちの立場や気持ちを理解できるようになっていきます。

時には辛く苦しい経験をすることで、同じように苦しんでいる人たちの気持ちや苦しみもよく分かるようになります。

イジメられた人はイジメられる人の苦しみを
金欠で苦しんだ人は貧しい人の苦しみを
病気で苦しんだ人は病人の苦しみを
騙された人は騙された人の無念さや悔しさを
ブラック労働で苦しんだ人はブラック労働をしている人の苦しみを
・・・etc

相手の苦しみを想像することで理解できる人もいますが、実際に自分の経験こそが真の理解に繋がるのです。

人間的に成長するには、時には一見マイナスと思えるような辛く苦しい経験も必要なのかもしれません。

沢山の情報を得るよりも、全ての出来事を教訓に変える力をつける方が人間的な成長に大きく繋がっていくと思います。

また、素晴らしい情報を得たら、それを自分の経験に落とし込んだり、自分の過去の経験を重ね合わせたりすることで初めて自分の内面の財産になっていくと思います。

他者の経験や他者の情報ではなく、自分の経験から得た気づきこそが自分にとって最高の教えになると思います。

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