コロナ茶番がきっかけで社会の嘘から目覚めた人たちが急激に増えてきているのを感じます。
しかし、社会の嘘から目覚めても、お金が無いと生きられるわけがないと思い込んでいるのは外側にしか意識を向けていないからなのです。
奴隷社会のオリの外で自給自足生活をするぐらいなら、オリの中でも便利で娯楽のある生活を送る方がずっとマシだと思うのも、外側にしか意識を向けていないからなのです。
もし食糧難になっても誰かが何とかしてくれると思うのも、外側にしか意識を向けていないからなのです。
田舎は何もないので、楽しみがなくなるのが耐えられないし、楽しみのない人生なんて生きる価値がないと思うのも、外側にしか意識を向けていないからなのです。
田舎に移住しなくても無血革命はできると言う話を聞いてもできない言い訳を並べ立てるのも、外側にしか意識を向けていないからなのです。
このように奴隷社会のオリの中から自立する気になれないのは、自分自身に意識を向けずに、外側のものだけに、執着・期待・依存しているからなのです。
支配層は人々が外側ばかりに意識を向けるようなシステムを作り上げ、自分自身の内面に意識がいかなくなるように仕組んできました。
学歴、お金、社会的ステータスなどの外側のものに偽の価値をつけ、人々にそれを追い求めさせることで莫大な時間を費やさせ、大衆同士で競争させるように仕向けてきました。
そして支配層の思惑通り、人々は学歴、お金、社会的ステータス、恋愛、娯楽、便利さなどの外側のものばかりを求め、執着しています。
人々は外側のものを手放したくないので、奴隷社会のオリの外には決して出ようとはしません。
特に人々が一番執着しているのはお金ですが、お金は食べられないし、価値がなくなればただの紙切れになります。
お金を追い求め執着し依存し続けるほど、ますます自分の内側に意識がいかなくなっていきます。
生きていく上で必要な知識やスキルが身につく職種であれば自分の内面の財産になりますが、そうでない場合は無人島で餓死してしまうような何もできない人間になるように支配層に仕向けられているのです。
では自分の内面に意識を向けるようになると、どう変わっていくのでしょうか?
自分の内面に意識を向けると、たとえ困難が発生しても、人やお金に依存することもなくなり、自分に出来ることはないかと考えられるようになります。
また、大変な目に遭っても他者や周りの環境のせいにするのではなく、自分の中に原因がないかを分析できるようになります。
そして他責思考や他力本願ではなくなっていき、自力・自立の考え方に変わっていきます。
このように自分の内側に意識を向けて自分にできることはないか?という視点で考えるようになると、望む結果につながる行動を起こせるようにもなります。
そして、そのような実績が増えるほど、自分の内面が豊かになっていくので自信に繋がっていきます。
すると、『お金無しでは生きられない』『今の便利な生活から離れられない』という思いからも徐々に解放されていきます。
奴隷社会のオリの中にある、支配層が仕込んだ偽の価値への執着も段々消えていきます。
例えば、運転免許を持っていないので田舎暮らしはムリだと諦めることは簡単です。
しかし、自分にできる事はないかと言う視点で考えると
近隣の人にお願いして車に乗せてもらう代わりに、自分のスキルや手作りの物をお礼として提供してみてはどうだろうかと考えたり、
運転免許を取得するための資金を一時的に稼いで免許を取得し、安い中古の車を探したり、物々交換で譲ってくれる人を探してみたり、
色んな案が浮かんでくるかと思います。
面倒くさいと思ったり、無理だと諦めるのは自分で何とかしようと思わずに外側に意識を向けているからなのです。
人生は全て自分次第なのです。
誰もあなたの人生の肩代わりなどしてくれないのです。
常に自分自身に意識を向けることが大切です。
頼りになるのは他者ではなく自分自身なのです。