父が亡くなって1ヶ月が経ちました。
(過去記事 父のお葬式 )
最近は父の供養をしない日に限って、夜になるとパキッというラップ音が聴こえるようになりました。
建物のきしむ音とは違い、ラップ音は空間から聴こえてきます。
霊感のない私ですが、なぜかラップ音が父だとわかるのが不思議です。
ちなみに母の部屋ではラップ音は全くしないそうです。
どうやら父は私に毎日、供養をしてほしいみたいです。
人は亡くなった後に、自分の人生をふり返る反省会をするそうですが、
生前の父は母に対して酷い仕打ちをしてきたので母に供養をお願いしずらいのかもしれません。
父は人は死んだら無になると決めつけていました。
父は肉眼で見える物しか信じませんでした。
お盆は家族や親戚が集まるただのイベントだと言っていました。
そんな父も亡くなった今になって、供養をしてほしくてラップ音でメッセージを送っているようです。
人は生まれ変わるまで、生前の性格をそのまま引き継ぐそうなので、私に遠慮なくラップ音を聴かせるのも父らしいと思いました。
いろいろな書籍からご供養する大切さを学んでいたので本当によかったです。
人は成仏した後、生まれ変わるまでの間、霊界の道をひたすら歩き続けるそうです。
フカフカの気持ちのいい赤土の上を歩く人もいたり、
ゴツゴツの石だらけの道を歩く人もいたり、
冷たい沼地の中を歩いたり、人によりけりだそうです。
歩く道はその人の生前の生き方によって決まるそうです。
実際はそういった道も、針の山や血の池も無く、魂がそう感じながら歩くことになるのではないかと思います。
霊界の道を歩いている時に、生きている人からご供養してもらうと、
供養する時に付けたロウソクの炎が霊界を明るく照らしたり、お線香やお供え物の香りが届いたり、ご供養してくれる人の愛が届いて魂が楽になるそうです。
お墓を建て、仏壇を置き、お供え物を供えるのは日本の昔からのご供養の仕方です。
ではモンゴルの風葬はどうなのか?チベットの鳥葬はどうなのか?
風葬はモンゴルの大草原に遺体を埋葬しないまま風化させます。
チベットの鳥葬は遺体を切り刻みハゲワシに食べてもらいます。
自分の国の風習やしきたりを生前の魂が納得していたら、迷うことなく受け入れられるのだと思います。
日本のようにお線香やお供え物がなくても、家族や友人が故人を忘れずに愛を送り続けたら、魂は喜んで成仏するのではないかと思います。
海に散骨を望む人は本人の望みなので魂は納得して成仏するのだと思います。
またご供養にお金をかける必要はなく仏壇がない家の場合は、
小さく切った半紙に故人の名前と名前の下に「の霊」と書くか、もしくは「○○(姓)家のご先祖様」と書き、
それを棚や机の上、テーブル等に置き、お水をお供えし、お線香をあげて、故人に話しかけるだけで充分だそうです。
花は一輪供えただけでも故人の霊界一面に咲き乱れるそうです。
さらに般若心経を唱えてあげれば霊は喜びます(般若心経の全文(ふりがな付き)は検索すれば出てきます)。
お坊さんのお経と同じ効果があるので魂は楽になって成仏できます。
さらにお金をかけずに霊を癒やしてあげることができます。
私はいつも供養でご先祖様に手を合わせるときはご先祖様の冥福をお祈りし、霊に話しかけています。
ご先祖様の供養をしていない頃はしょっちゅう父方の祖母の顔が頭の中に浮かび、思い出していましたが、供養するようになってからは浮かばなくなりました。
後に祖母が誰からもご供養されていないことがわかりました。
それで私に必死にメッセージを送っていたのかもしれません。
祖母は亡くなる数時間前に私の部屋の蛍光灯を暗くしたり明るくしたりを何度も繰り返し、私のところに、お別れに来てくれました。
毎日ご供養するのは無理だとしても、故人の命日だけは優先してご供養をしてあげると霊は喜ぶと思います。
父が霊界の道を楽に歩けるように、私が生きている限りはずっと父の供養を続けるつもりです。
ご供養を続けていると霊界の道が良くなり、歩く足どりも軽やかになり幸せな気持ちに変わっていくそうです。
生きている人だけではなく、亡くなった人にも愛を届けることができるのです。