父の四十九日が過ぎてから、父の気配を感じることがなくなりました。
ラップ音も聴こえなくなりました。
たまに亡くなった父と同年代っぽい人たちを見かけると、父のことを思い出し、寂しくなります。
自宅で父の供養はしていますが、生身の父とはもう二度と会えないのです。
二度と父の姿を見て会話することができないのです。
父が生きている時は父のことを好きだったわけでもなく、むしろ憎悪や嫌悪感を抱いていた時期もあり、特に会いたいと思ったことはなく、どちらかというと無の存在になっていました。
しかしいざ亡くなって、もう二度と会えないと思うと、なんともいえない寂しい気持ちになります。
せめてもの救いが今年の夏に父と会って、父の手を握り、優しくできたことでした。
仮にその時、父に冷たくしていたら、一生後悔して今も苦しんでいたと思います。
なので今周りにいる人たちが存在しているのを当たり前だと思ってはいけません。
人間はいつか必ずお別れする日がくるのです。
そう思うと、自分以外の人たちに感謝したり、愛をもって接することができるはずです。
また人は亡くなったら無になるわけではありません。
次に生まれ変わるまでの間、霊界の道をひたすら歩き続けます。
霊界が少しでも故人の癒しになるよう、亡くなった人たちに愛をこめたご供養をすることも大切です。
過去記事の父からのラップ音にも書きましたが、生きている私たちのご供養が亡くなった人たちの魂の癒しにつながるのです。
ご供養のやり方も同記事に載せています。
ご供養にお金をかける必要はなく、故人を思う愛があればそれだけで十分なご供養になります。
ご先祖様の供養やお墓参りをするようになってからは言語化するのが難しいのですが、
ご先祖様が霊界から私たちの日常生活を見守り、助けてくれているのを感じるようになりました。
最後に故人とどんなお別れになってしまっても、例え、お別れができなかったとしても、故人の霊に話しかけるだけで、霊はそばにきてくれるはずです。
愛の言葉をかけてあげれば喜んでくれます。
父を供養しているとき、父に話しかけるとそばで話を聞いてくれている気がします。
生きている人にはもちろん、亡くなった人にも心からの愛を注いでください。