会社員時代の私は他人の評価にふり回されてばかりいました。
例えば、他人に褒められたら自分の価値が上がったような気になり、逆にけなされたら自分はダメ人間だと落ち込んでいました。
今思い返すとそれはものすごく危険な考えでした。
他人の言葉で自分の価値を決めていたら、自分という人間がどういう人間であるのか、客観的に判断できなくなってしまいます。
そして他人の評価ばかりを気にした人生になってしまいます。
よく他人の目を気にして、生きたいように生きれない人を見かけますが非常にもったいないです。
そんな時は口先だけで偉そうな評価をしてくる他人が、何かためになることをしてくれたことがあるのか、その評価が自分の成長につながるのかを一度考えてみることをおすすめします。
相手の成長を思った発言ではなく、文句を言ってきているだけなら自信をなくす必要はありません。
私も会社員時代、パワハラ上司はもちろんのこと、それ以外の人間でも私という人間に対し、評価してくる人たちが多数いましたが、
評価してくる人たちに限って、成長のための助言を言わず、仕事のプラスになることも何ひとつしてくれない人たちばかりでした。
例として
50人が集まる会議の司会と議事録を書くという両方の仕事を担当していた時のことです。
正直、司会をやるのが精一杯で、会議中の録音が禁止されていたため、議事録に抜けを作ってしまいました。
私の議事録に抜けがあるのを見つけた人が、私に対して「仕事をきちんとしない人」というレッテルを貼ってきました。
その人は議事録を書くという作業を手伝うどころか、自分がとっていたメモすらも見せてくれないで、私に文句を言うだけでした。
当時の私は、その言葉を真に受け、司会と議事録の両方を器用にこなせない自分が情けなくなり、自分はダメ人間だと思い込んでしまいました。
今思い返すと、人の言葉に感化されすぎでした。
自分はダメ人間だと思い込む前に、なぜ議事録に抜けを作ってしまったのかを客観的に分析し、解決策をたくさん練るべきでした。
それでも司会と議事録を両立するのは難しいのであれば、それを上司に相談すべきでした。
当時の私はそんなことすらにも気づかず、他人の心ない言葉で自分がダメ人間だと思い込み、自己否定に走るだけでした。
この例のように
まずは他人に何かを言われたら、すぐに鵜呑みにするのではなく、一呼吸置いて本当にそれは事実なのかを客観的に分析してみることです。
それはあなたに対して
- 嫉妬心
- ライバルを蹴落とす
- 自信をなくさせる
- 八つ当たり
- 他人の不幸は蜜の味
という悪意から出てきた言葉かもしれません。
そして繰り返しになりますが、その人が自分に対して、ためになる何かをしてくれたのかを考えてみるべきです。
しかし勘違いしないでほしいのが、「自分にとって都合の悪いことや耳が痛いことを真に受けるな」と言っているわけではありません。
成長のために素晴らしい気づきや助言、注意をしてくれる人たちも存在しているのは確かです。
そういう方たちの言葉まで自分の都合で否定的に捉えたら、せっかくの成長のチャンスを逃してしまうことにもなりかねません。
あくまでも、自分の頭で考え、判断することが大切です。
一番大切なのは自分自身が自分を正しく評価する目を持つことです。