宮沢賢治記念館

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先日、岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館に行ってきました。

宮沢賢治とは

宮沢賢治は1896年(明治29年)8月27日、稗貫郡花巻川口町(現花巻市豊沢町)にて質・古着商を営む宮沢政次郎とイチの長男として生まれました。
詩人、童話作家、教師、科学者、宗教家など多彩な顔を持つ一方、1926年(大正15年)には農民の生活向上を目指して農業指導を実践するために羅須地人協会を設立。多方面で活動を行いますが、無理がたたり病に倒れ、1933年(昭和8年)9月21日、37歳の若さでこの世を去りました。生涯で多くの短歌や詩、童話などの作品を遺しており、現在では国内、国外を問わず親しまれていますが、生前に刊行された著書は2冊だけでした。
資料提供 林風舎

宮沢賢治について|花巻市 (city.hanamaki.iwate.jp)より引用

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は有名です。

賢治の愛、優しさ、謙虚さ、偉大さが凝縮した詩です。

「注文の多い料理店」、「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」などの数多くの有名な作品を世に出した童話作家なのも知っていました。

「注文の多い料理店」は私の大好きな作品で、小さい頃にドキドキしながら夢中になって読んだ記憶があります。

宮沢賢治記念館の中は

賢治の年表、原稿の複製、賢治の描いた絵、賢治が携わってきた多彩なジャンルのスクリーン映像、関係資料、賢治が実際に使っていた楽器などが展示されています。

宮沢賢治の世界を充分に満喫できます。

宮沢賢治記念館の中から撮った外の景色

賢治は童話作家以外にも、詩、農業、科学、教育、宇宙、音楽、絵画、法華経と多彩なジャンルに深く携わり、人が一生をかけて学び経験する規模のジャンルを37歳で他界するまでに経験し、すでに悟りを開いていました。

37年間、物凄く凝縮された濃い人生を送られていました。

賢治の描いた絵も本当に素晴らしく、絵の技術も一流の画家レベルで、誰も思いつかないような感性で描かれています。

特に傑作だと感じたのは「月夜の電信柱」という作品をイメージして描かれた、電信柱が半分人間で学生帽をかぶっている絵でした。

しばらく絵の世界に引き込まれてしまい、呆然と立ち尽くして眺めてしまいました。

また賢治は裕福な家に生まれましたが、それを鼻に懸けることもなく非常に謙虚で、むしろ貧しい人たちの気持ちを理解している生き方にも心が打たれました。

賢治のお父さんが銀時計を人に自慢する姿を見て、13歳の賢治が怒ったエピソードも印象に残りました。

賢治は育った環境にも影響されず、客観的に世の中を見ることができる偉人でした。

賢治の最愛の妹トシが亡くなる日のことを書いた「永訣の朝」の原稿の複製もありましたが、賢治の深い悲しみが伝わり涙が出ました。

私の心にもっとも響いた賢治の言葉は「世界が幸せにならない限りは、個人の幸せはない」でした。

私の場合は潜在意識、宇宙の法則、愛の大切さ、輪廻転生等をネットや本で学べる時代に生まれたのが幸いで、その「真理」にたどりつけましたが

賢治の時代はそういった情報など身近にない時代だったにも関わらず、すでにその「真理」に気づいていたなんて、やはり宮沢賢治はただ者ではありません。

さらに、「一日一日を大切に生きなさい」と賢治に教えられた気がしました。

宮沢賢治記念館は岩手県花巻市にありますのでお近くに立ち寄られる機会がありましたら、超絶おすすめです。

宮沢賢治がつくった花壇を再現した花壇

宮沢賢治記念館の基本情報

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