※前回はこちらから→壮絶パワハラ体験談 ③
Aの上司は私を他部署の応援に行かすことを独断で決めたそうです。
Aの上司は私のメンタルが限界にきているのに気づいてくれました。
Aの上司の洞察力と機転には今も感謝しています。
Aはそれを知って猛反対したそうですが、どうにもできなかったと悔しそうでした。
私は天から救いの糸が降りてきたと感激して泣きそうになりました。
しかし応援に行った後もAからは解放されることがなく、毎日Aの部署に顔を出せ、連絡しろと言ってきて少しでも顔を出さないとネチネチとめげるまで責め続けてきました。
そして「水菜は必ずこのグループに3か月後に戻ってくるんだ」と命令口調で言ってきます。
また私が応援でいないため、飲み会の幹事は別の人が担当させられていました。
新幹事の人が私の部署まで足を運び「Aさんからの伝言です。飲み会に出てください」と言ってきました。
私が出ないと伝えると顔面蒼白になって帰っていったのを見て、気の毒になりました。
その後、その幹事の人がAにネチネチ責められたのかと思うと胸が痛みましたが、Aに対する拒絶反応の方が強すぎて幹事の人には申し訳ないことをしました。
その飲み会の後、Aとの面談(一年間の仕事の成果を上司に報告する面談。その面談の成果により4月からの基本給が決まる)があり、Aから多大な報復を受けました。
面談では私の成果を一切聞かず、一方的にボロクソ言ってきました。
返却された評価表をみたら、どの項目も5段階中全て1にされており、泣きたくなりました。
面談前に私が応援に行った部署の上司HさんがAに私が応援先の部署で大活躍していると伝え(活躍した内容も具体的に伝え)何とか評価を上げてあげてくれないかとお願いしてくれたにも関わらずです。
結果、昨年より基本給が下がってました。
基本給が昨年より下がるなんて現実にあることが信じられなかったので同期の人に、基本給が下がっている人が他にいないかを聞き回りましたが、聞いた限りだと誰もいませんでした。
【応援先の部署では】
今までパワハラされた内容ばかり書いていましたが、すばらしい人たちもたくさんいましたので記載したいと思います。
信頼できる上司と素晴らしいメンバーがいる部署に応援として在籍していた数ヶ月の出来事でしたが、今でも思い出すだけで心がじんわりと暖かくなります。
その上司Hさんは本当に人間として尊敬できる人でした。
私が技術員ではめずらしい女性だからといって特別扱いはせずに常に誰にでも平等でした。
部下の仕事がたまりすぎて緊迫していたら上司であるにも関わらず、雑用でも何でも動くような人でした。
確かに応援を要請しただけあってひとりひとりの業務負荷は高く、仕事自体も過酷で土日も犠牲にするときが多々ありましたが、
自分ひとりではなくみんなで協力し合って目の前の難関な課題を乗り越えた思い出は一生の宝物になりました。
その部署での飲み会もめちゃくちゃ楽しかったです。
いまとなっては心が温まる良い思い出です。
Aが子会社に出向が決まり、解放されたが・・・
応援先の部署にいても、3か月後にはAの部署に戻ると思うと、1日が過ぎる度に憂鬱になっていました。
Aは私が意見を言っただけで「応援に行ってから、ずいぶんと生意気になったな」と言ってきました。
私は生意気になったつもりがありませんが、Aは応援先の上司Hさんのせいだと言い、Hさんやメンバーたちに敵意をむきだしにしていました。
そんな矢先、組織改編のためAの部署がバラバラになることが決まりました。
Aはグループリーダーの座を下ろされ、子会社への出向が決まりました。
しかしAは出向でいなくなる直前まで、私に何かしら用事を見つけて訪ねてきてはネチネチと責めたててきました。
Aが出向でいなくなったときは開放感でいっぱいでした。
Aが出向から戻ってきたのはそれから3年後でした。
Aが出向から戻ってきた後、Aと廊下ですれ違いましたが、雰囲気が以前と変わっていました。
以前のような上から目線の威圧感が消えて萎縮したような感じがしました。
子会社で何があったのかわかりませんが、Aはすれ違う私の存在に気づかないふりをして通りすぎました。
その後、私が退職するまでAにからまれることはありませんでした。
Aはその後、出世コースからも外され、新たな部署では孤立した机に座り、目立たない仕事を担当していると噂になっていました。
Aが出向でいない間、私は新たな悪魔のような性格のチーフBの元に異動になり、新たな苦難が待ち受けていたのでした。
続きます。→壮絶パワハラ体験談 ⑤